売る人File.4
日本唯一の焼き芋芸人・スミちゃん
(お笑いコンビ:がじゅまる)
スミちゃんとの出会い
あるとき、Twitterで「お笑い芸人のつぼ焼き芋屋さん」というアカウントを発見した。
芸人の焼き芋屋さん? 「家電芸人」や「手相芸人」なら聞いたことがあるけど、なぜに焼き芋なのか。気になってツイートを追ってみると、どうやら店舗があるのではなく、都内を中心に出張販売している模様。投稿に貼られていた出張スケジュールを見て、会いに行ってみた。
その日の出店場所は住宅街にあるスーパーの前。2つの大きいつぼのそばに、背の高い男性がいる。彼こそが焼き芋芸人・スミちゃんだ。声をかけ、さっそく2本買ってみる。
つぼの中から取り出された焼き芋は、皮が焦げ付かずにきれいに焼かれ、そのところどころからキラリと蜜があふれている。甘い「蜜芋」を目指していて、使用する品種は「べにはるか」一択だそうだ。
温かい芋を懐に抱えたまま、少し話を聞かせてもらう。焼き芋屋を始めたきっかけ、つぼ焼き芋の魅力などを、熱を込めて話しながら、スマホのアラームをセットし、芋を出し入れし、温度調節をし、接客をし、脚にタックルしてくる子どもの相手をし(あとで聞いたら実の娘さんだった。スミちゃんは2児の父である)、とにかくずっと動き回っている。その働きぶりには、何か心を打たれるものがあった。
そして、家に持ち帰って食べた焼き芋も、もちろんおいしかった。「つぼ焼き芋は皮もおいしいですよ」というスミちゃんの言葉通り、皮がバリバリに焦げたりせず、風味と歯ごたえをしっかり残している。それがアクセントになって、トロリと柔らかい身との食感の違いを楽しめる。なんというか、まじめな焼き芋だ。芸人さんに対して言うべきことではないかもしれないが。
後日、改めて取材を申し込み、「焼き芋芸人」になるまでの話、そしてこれからの話を、聞かせてもらった。
ジャッキー・チェンに憧れて
スミちゃんは神奈川県相模原市出身の33歳。2012年に結成したお笑いコンビ「がじゅまる」のツッコミ担当で、現在は浅井企画に所属している。
芸能の世界に入ったそもそものきっかけは、幼い頃から好きだったジャッキー・チェンだという。「ジャッキーみたいになりたくて、映画やテレビの世界にずっと憧れていました。それで大学1年のときに俳優事務所に入ったんですが、思っていたのと何かが違って、8か月くらいでやめてしまいました。その後、そろそろ就職活動という時期になっても、会社に入るという発想にはどうしてもならなかった。そうするとやっぱり芸能界だ、でも俳優はダメだったから、じゃあお笑いだ、と。小中高と、何となくいじられやすいというか、笑いを取るポジションにいたので」
それでお笑いの養成所に入ってみたら、人に笑ってもらえるという快感に「はまってしまった」という。最初はトリオで、そのあとコンビになったり、ピンになったりと紆余曲折を経て、2012年に相方・こば小林さんと「がじゅまる」を結成。「がじゅまる」は多幸の木といわれる沖縄の木。自分たちのお笑いでみんなを幸せに、という願いを込めたそうだ。
「笑い」では命を救えない
とはいえ、芸人になった当初は、やはり「売れたい」「有名になりたい」という思いが先行していた。しかし2018年、あることをきっかけに、考えが変わっていく。
「当時、難病を患いながら僕らを応援してくれるファンの女の子がいました。その子はライブにも足を運んでくれていたけど、体調が悪くて来られないこともあって、このときに『来てもらうのではなく、自ら出向いて笑ってもらいたい』という気持ちが芽生えました。そして2018年にその子が亡くなってしまった。ここではっきり覚えているのが、『笑ってもらいたい』という信念が『命を助けたい』に変わったこと。ネタを披露して、笑ってもらって、心は満たせるかもしれないけど、それで本当に命を救えているのか?そもそも自分は芸人としてどうありたいのか?ということを考えるようになりました」
そんなあるとき、とある児童虐待のニュースを目にする。自身も子を持つ身として、虐待の問題には日頃から関心を寄せていたが、このときのニュースは特にショッキングだったという。
「子どもが8年間放置されて餓死したという事件でした。この日本で餓死が起こるのか、と驚いたし、飢えた子が目の前にいたら、笑わせるよりも、まずはお腹を満たしてやらなきゃいけないよな、と思いました」
こうした経験が、全国のあちこちに出向いて「笑い」と「食」を届けたい、という、現在に至る思いにつながっていく。
そのやり方を模索していたときに、車で販売して回れて、かつ自身ももともと好きだった焼き芋に思い当たる。いろいろ調べていくうちに、つぼ焼き芋の存在を知り、2020年8月に岐阜県のつぼ焼き芋専門店「幸神(こうしん)」に弟子入り。2か月間の修業および準備期間を経て、10月につぼ焼き芋屋「笑芋寿(わらいもことぶき)」を開業する。この屋号には、お笑い・焼き芋・長寿という、スミちゃんの目指す全てが詰まっている。
芸人と焼き芋屋の「二足の草鞋」
開業から8か月が経過した今(2021年5月)、焼き芋屋の出張は月に15日ほどで、定期的に行っているのは荻窪、三鷹、下北沢、朝霞の4か所だ。「いつも来てくれるリピーターのお客さんもいます。お笑いをやっているだけではつながれない方と、焼き芋を通してつながれることもあって、うれしいですね。おいもさんのつるが導いてくれるというか」
とはいえ、目指す姿にはまだまだ遠いという。「『笑い』と『食』を届け、心とおなかを満たせる芸人になる、というのが目標です。トラックで全国を回って、焼き芋を売りながら荷台をステージにしてお笑いをやるとか、ステージ付きの店舗を持って、虐待などで苦しむ子どもが逃げ込める場所を作るとか、やりたいことはいろいろあるけど、やっぱりお金が必要だし、自分自身ももっと力をつけないといけない。理想と現実のギャップを痛感しています」
ところで、スミちゃんは芸人から焼き芋屋へと転身したのではなく、芸人ももちろん続けている。いわゆる「二足の草鞋」を履いているわけだが、スミちゃんが「焼き芋屋をやる」と言ったとき、相方・こば小林さんはどう思ったのだろうか。「芋なんて焼いてないでお笑いに集中しろ」とケンカになったりしなかったのだろうか。ご本人に聞いてみた。
「好きなようにやってくれ、と。もともと行動的だし、色々やりたがりなので、焼き芋屋もそこまで突飛な行動という感じではなかったです。ただ、店をやるというのは初めてだったので、そこは『おぉ』と思いました」(こば小林さん)
あっさりしたコメントに、むしろコンビとしての10年の重みを感じる。スミちゃんも言う。
「焼き芋を始めてから、相方ものびのびしているし、コンビとしていい方向に向かっている実感があります。相方は、自分のペースさえ乱されなければ、俺に『こうしろ』とは言わない。良くも悪くも『無』。以前は、相方のそういうところを否定的に見ていた部分もあったけど、最近は『こういう奴なんだな』と諦めみたいなものが出てきて、それは『認める』ことでもあるんだと。相方は相方で、ずっと何も言わずに俺のことを認めてくれていたんだと思うし。そんな風に思えるようになったのも、焼き芋を始めてからですね」
遠くへ行けば行くほど結果が出る。これは同じ事務所の大先輩・萩本欽一さんの名言だそうだ。焼き芋という、お笑いから離れたところでの経験が、「がじゅまる」にいい結果をもたらす、かもしれない。
新たな野望「芸農連携事業」
行動的、という相方さんの言葉を裏付けるかのように、スミちゃんはさらに新しいことを始めようとしている。実は、この取材に先立つ2021年4月、スミちゃんは記者会見を開いて、その「野望」を発表していた。
記者会見で発表されたのは、「芸農連携事業」のトップランナーになって地域活性化に寄与する、という構想だった。「芸農連携事業」とは読んで字の如く、芸能と農業を連携させること。例えば、過疎化が進む地域で、地元の農家からサツマイモを買ったり、自身でサツマイモを栽培したりして、それでつぼ焼き芋を作る。さらに、その焼き芋を子ども食堂や高齢者施設で配り、お笑いも披露して、心もおなかも満たしてもらい、街を元気な笑い声で満たす、ということだ。「『笑い』と『食』を全国に届ける」という志を、地域と連携することでより具体的な形へと前進させる。そんな決意表明と受け止めた。
しかし、それを実現させるためには、つぼと相方を一緒に積み込める、大きい車が必要になる。そこで、車を手に入れるために「芋しべ長者」という企画にチャレンジするという。これは、昔話の「わらしべ長者」のように、サツマイモと何かを交換して、さらにそれを別のものと交換して……を繰り返し、最終的に車に行きつくことを目指す、というものだ。クラウドファンディングのような仕組みもある中で、あえて「昔話」の手法を選ぶところに、芸人さんならではの遊び心とプロ根性を感じる。
「芸農連携事業」に関しては、いつ、どこで、といった明確なプランはこれから決めていくという。「芋しべ長者」は早くも動き出しており、すでに焼き芋と「何か」が交換されたそうだ。果たして、芋が車に化ける日は来るのか。そして、その車でスミちゃんが全国各地においしい焼き芋とお笑いを届けられる日は、来るのだろうか。来ると信じて、待っている。
◎「イモヅル」では今後も、焼き芋芸人・スミちゃんと「芸農連携事業」の動向を追いかけていきます。続報をお楽しみに!
お笑い芸人のつぼ焼き芋屋さん 笑★芋★寿
出店スケジュールなどはTwitterにて告知
https://twitter.com/waraimokotobuki