「ことば」と「思考」を回転させる、軽くて硬いフリーペーパー

毎号異なるテーマの論考を、小さな紙に乗せてお届けします。
ふとした思考や想像のおともに。
一つの文字からインスピレーションを得たサイレント漫画
「字マンガ」(作:しば太)も好評連載中。

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01
1971年、ふたつの〈孤独〉 ―村上春樹の「僕、須賀敦子の「私たち」― (2017年3月発行)

孤独死、おひとりさま、ぼっち……世の中には、〈孤独〉をめぐるキーワードが溢れ、〈孤独〉を否定的に捉えるもの、あるいは称賛するものなど多種多様です。そんな中で、私たちは自らの〈孤独〉と、どのように向き合っていけばいいのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 


02
「祭り」と「フェス」 ―似て非なる祝祭のことば― (2017年6月発行)

身の周りでよく目にする「祭り」「フェス」という言葉。私たちは、一見同じであるようなこの二つ
の言葉を、それぞれ特有の意味やイメージのもと、微妙なニュアンスで使い分けている気がします。似て非なる「祭り」と「フェス」について、現代的な意味や使われ方、託されたイメージとその背景について、考えてみたいと思います。

 


03
成熟って、何かね。 ―あたらしい「成熟拒否」のはなし― (2018年4月発行)

一般常識、ビジネスマナー、「大人の○○」……私たちの周りには、外面的な「大人らしさ」の指針
やモデルはあふれているけれど、内面的な「成熟」となるとそうもいかず、なかなか自分自身に対して「成熟した」という実感は持てないものです。
では、今、そしてこれから、私たちが目指すべき「成熟」とは、どのようなものでしょうか。


04
皆もすなるTwitterといふものを我もしてみむとてするなり (2018年7月発行)

Twitter を始めてから、約2年半が過ぎました。その間、新たな「ことば」の世界を開いたような
驚きや発見があったり、自分のイヤな面がボロボロ出てきて戸惑ったりと、タイムラインには現れない水面下で、いろいろな感情の動きがありました。その次第を、少し書いてみようと思います。


05
自然(じねん)と自然(ナチュラル)と私 (2019年5月発行)

私たちが何かを「自然」だと形容するとき、そこには例えば「天然の素材のものを着たり食べたりす
る」「心のままに、飾らない態度でいる」「山奥で原始的な暮らしを営む」といった、多様なイメージが含まれます。
しかし、いつから「自然」はこんなに多義的になったのでしょうか。私たちはこれまで、「自然」をどんな風に受容してきたのでしょうか。


06
恥ずかしい音 (2019年9月発行)

公衆トイレで、水を流したり擬音装置を使ったりして排泄音を消す「音消し」の習慣。
みんな当たり前のようにやっているけど、その音は、本当に恥ずかしい音ですか。
webアンケートを通して人々の意識に迫りつつ、「音消し」の功罪について考えてみました。


07
わたしは健常 (2020年4月発行)

自分が「健常」であるということや「健常者」という存在について。
普段なかなか意識しないからこそ、個人的な体験もまじえて考えてみました。

 


08
まっすぐな正義でさみしい (2020年11月発行)

コロナ禍の「自粛警察」などに対してよく使われる「ゆがんだ正義」という表現を起点に、
わかるようでわからない「正義」について考えてみました。


09
現代「かな」づかい考 ―なんか、気になったりとかしませんか― (2021年5月発行)

最近あちこちで耳にする「~かなと思います」という言い方。どうして言い切らないで「かな」とぼかすのか。その心理や、背景となる社会のありようについて、考えてみました。


10
Viva La 実家 (2022年4月発行)★最新号

実家暮らしの大人に対する世間の目は厳しい。実家暮らしはそんなにダサいのか。甘えているのか。子どもっぽいのか。実家暮らしが社会的にどんな見られ方をしてきたか、最近の動向もふまえつつ見ていきます。